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書院御霊屋の吊り燈籠は「元和・寛永」の作

 妙成寺の多面的価値調査員会の調べで、書院にある御霊屋の吊り燈籠が「元和・寛永期」のものであることが明らかになりました。これまでは「江戸時代」とだけ、漠然としていたのですが、江戸初期の手の込んだ作品であるとこが確認できました。

 調査にあたった久保智康国立京都博物館名誉館員によると形状は、強くむくりをつけた笠の頂に宝珠を戴き、三葉葵紋の煙出しを六箇所透かしています。軒先には花先形の吹返しを12弁めぐらしますが、その外面に、魚々子地と三葉葵紋、そして唐草を蹴彫りして、火袋の欄間にも三葉葵紋を各面3個ずつ透かして、地板に唐草を蹴彫りしてあります。

 この灯籠に銘文は一切ないのですが、製作の時期と背景は、作品の特徴から明快に判るそうです。吹返しや脚に線刻された唐草をよく見ると、葉の付け根に葉柄の表現がみられ、間地に露を表す円環も表されます。これらは桃山時代の飾金具に特徴的にみられる意匠で、江戸時代初期を過ぎると急速に見られなくなります。また火袋の透彫り唐草には、裏から打った大粒の刻点を連ねていて、これはきわめて特異な金具意匠で、寛永3年(1626)に没した将軍秀忠室の崇源院の霊屋や同宮殿の金具をはじめとして、元和・寛永年間に製作された吊り灯籠にわずかに事例が知られるに過ぎないものだそうです。

 前田家の位牌所である御霊屋に三葉葵紋があるのは、加賀藩3代藩主前田利常の室、天徳院(将軍徳川秀忠の次女珠姫)か、あるいは利常息女、浩妙院(秀忠の養女亀姫)にちなむものでしょう。