「妙成寺―見えてきた価値」 櫻井先生が北國新聞に寄稿しました
妙成寺の多面的価値調査委員会の櫻井敏雄和歌山県文化財センター理事長が、「妙成寺の価値」について、3月10日付けの北國新聞に寄稿を掲載しました。
妙成寺の価値として挙げられるのは、五重塔をはじめ国重要文化財が10棟もあることはもちろんなのですが、京の法華宗寺院から失われた近世初頭の伽藍配置が残されていることだと指摘しました。その特徴は慶長期に建立された本堂を中心に祖師堂、三光堂が南向きに横一列に並ぶ配置です。この配置は洛中妙覚寺の伽藍図や、五重塔を建立した越前北ノ庄の大工・坂上嘉紹が描く伽藍図に見られるということです。
また、越前の大工が関係していることは、越前出身の寿福院(3代藩主利常の母)の存在が重要になるとしています。妙成寺の諸堂の中で異彩を放っているのが三十番神堂です。櫻井氏によると、他の堂に比べ木割が細くきゃしゃだといいます。京都から移築されたという話も伝わっていますが、櫻井氏によると京都ではなく福井(越前)に似た寺社があるそうです。妙成寺や寿福院と関係が深い金沢の経王寺の三十番神(堂)は、「類聚雑記」によると慶長14年に寿福院の生家の菩提寺であった越前経王寺から移されたと記されており、この記述から櫻井氏は「三十番神(堂)が越前から金沢に移され、さらに妙成寺に移された可能性がでてきた」と考えています。
そして五重塔については、江戸にいた寿福院が池上本門寺で見た五重塔の威容に惹かれたのではないかと推測しました。室町時代、法華宗では五重塔ではなく多宝塔を建立していたのですが、寿福院は妙成寺には五重塔を建立し、さらに久遠寺、法華経寺にも寄進していきました。伽藍の配置は、この時から本堂中心から塔へ向かうアプローチが中心になったのではないかとも考えています。塔を中心とする伽藍は、寿福院からはじまったという可能性を指摘しています。