妙成寺の伽藍 かつては極彩色
本堂、祖師堂、三光堂も「ベンガラ色」
妙成寺の伽藍の外観が過去、極彩色に塗られていた可能性があることが、市と一般財団法人北國総合研究所(金沢市)の多面的調査で分かりました。赤系統色だった五重塔以外のお堂からも同系色塗料の跡が新たに見つかり、本堂正面には彩色や文様の墨跡が確認されました。
調査は、羽咋市と北國総研の委託を受けた天野山文化遺産研究所(大阪)の山内章代表が8月から行っています。12月6、7日には本堂などの外観を対象に詳細な肉眼観察が行われました。
山内さんによると、本堂では、正面上部の横板「頭貫」や柱に、暗い赤みを帯びた「ベンガラ」の塗料と、何らかの文様を描いた墨線の跡が確認されました。文様は、三角と半円を組み合わせたような図柄で、山内氏は「龍の口のようにも見える」と説明しました。さらに上部の琵琶板(びわいた)には黄土色の塗料が残っていました。
本堂左隣の「三光堂」、右隣の「祖師堂」の柱や桁などにもベンガラ色の塗料の跡があり、「三十番神堂」では、正面の琵琶板に草花の文様、頭貫に唐草模様の跡を確認しました。 江戸時代に描かれた「能州滝谷妙成寺総絵図」(石川県立図書館所蔵)には、妙成寺の全景が描かれています。その五重塔と三十番神堂の輪郭は赤色になっており、伽藍が赤系統色だった可能性を裏付ける史料の一つとみられます。
こうした調査結果から、山内氏は「明確な年代は分からないが、ある時期の妙成寺の伽藍は極彩色に塗られていた」と結論付けました。和歌山県文化財センター理事長の櫻井敏雄氏は「これまで五重塔を除いて白木のままだと思っていた妙成寺の印象がずいぶん変わる調査結果といえる。今後、内観にも色が付いていたかどうか調べる必要がある。極彩色だった時代を特定するには、さらに調査が必要だろう」と話しました。