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寿福院じゅふくいんの墓

寿福院の墓

寿福院(じゅふくいん)は、加賀藩祖前田利家(としいえ)の側室で、3代藩主利常(としつね)の母。熱心な法華(ほっけ)信者で、慶長(けいちょう)8(1603)年に妙成寺(みょうじょうじ)菩提寺(ぼだいじ)に定めて、本堂、五重塔(ごじゅうのとう)三十番神堂(さんじゅうばんじんどう)祖師堂(そしどう)などを建立(こんりゅう)しました。徳川家康の側室の養珠院(ようじゅいん)(お(まん)の方)とも親しく、ともに法華経(ほっけきょう)をあつく信仰し、身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)の五重塔や中山法華経寺(なかやまほっけきょうじ)の五重塔などを建立したことでも知られます。

寛永(かんえい)8(1631)年、加賀藩江戸屋敷で死去し、江戸の池上本門寺(いけがみほんもんじ)荼毘(だび)に付された後、金沢の経王寺(きょうおうじ)で再び葬儀が営まれ、妙成寺(みょうじょうじ)に納骨されました。

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